今日の人々は、地球上に存在するいわゆる「人種」の起源について混乱に陥っています。しかし、聖書と一般に受け入れられている科学的原理によって、その問題にわかりやすい解答が与えられます。それによって、この大切な問題に対するあなたの考え方は根本からくつがえされることになるかもしれません。
ダーウィンの進化論が普及する前の1800年代、人々が「人 種」と言う場合、「イギリス人」「アイルランド人」などのこと を指していました。しかしながら、チャールズ・ダーウィンが 『種の起原』を出版することによって、この状況は一変しまし た。ダーウィンの進化論は、本質的に人種差別的な理論で(未 だにそうです)、異なった民族グループ、あるいは「人種」は 異なった時に異なった速度で進化したので、あるグループは他 のグループよりもサルに近いと教えていました。例えば、オ ーストラリア原住民は類人猿と人類のミッシングリンク(失わ れた環)と考えられ(注1)、その結果、彼らはひどい迫害と差別 を受けました(注2)。進化論の第一人者であるスティーブン・ J・グールドはこう言っています。「人種差別主義に関する生物 学的議論は1850年以前も一般的だったかもしれないが、進化 論が受容された後に加速度的に盛んになってきた(注3)。」
進化論によって煽(あお)られた人種差別的な傾向に影響されて、アフリカのピグミー族がニューヨーク市ブロンクス動物園のカゴの中でオランウータンと一緒に入れられ、見世物にされるというようなこともありました(注4)。
ダーウィンの進化論の結果、人々は世界中の様々な民族グ ループをそれぞれ別の「人種」として考え始めました。それは 進化論の考え方に沿ったものでした。このことによって、意 識的、無意識的を問わず、人々の思考に他の民族グループに 対する偏見を植え付ける結果となりました。
しかしながら、今では世界のすべての人は「ホモ・サピエンス」と分類されています。現在の科学者は、生物学上、人間には、たった1つの人種しかないと認めています。例えば、アトランタで開かれた科学促進会議(Advancement of Science Convention)で、ある科学者は次のように言ってい ます。「人種は社会的な概念であって主に歴史的な事実に由来 し、生物学的な根拠は全くない(注5)。」
人種という概念について行われた調査についての報道で、ア メリカのABC News のホームページの科学欄では次のように 報告されています。「今日、多くの科学者が、私たち人間を区 別するのは文化的な違いであって、人種的な違いではないとい う見解を示すようになってきた。そして、その中のある科学者 たちは、『人種』という言葉には意味がないので、その言葉の 使用をやめるべきだとまで言 い出した(注6)。」この記事は さらにこう続けています。 「私たちは人種という概念を、 人々をおおまかなカテゴリー に分けるのに便利な方法であ るがために用い、多くの場合、 人々を抑圧するために受け入 れる。……この最も忌まわし い例は、ヒットラー政権下の ドイツである。そして人種差 別は、世界中あらゆる所で未 だ行なわれている(注7)。」
1998年の『カウンセリングと発達誌(Journal of Counseling and Development)』(注8)に掲載されていたある論文で、その 論文を発表した研究者たちは、「人種」という言葉には全く意味 がないので廃棄すべきだと論じています。
ダーウィンの進化論の 影響と、その結果もたらさ れた差別を考慮して、す べての人(特にクリスチャ ン)はこの「人種」という 言葉を捨て去るべきだと 思います。その代わりに、 世界中の異なった「民族グ ループ」と呼ぶことができ るのではないでしょうか。
聖書は、民族について言 及するのに「人種」という言葉を全く使わず(注9)、逆に、すべて の人類は「ひとりの人」から創り出された(使徒17:26)と記して います。つまり、私たち人間はすべて親類であることが明言され ているわけです。というのは、すべての人は最初の人アダムの子 孫だからです(1コリント15:45)(注10)。
イエス・キリストも、アダムの子孫となられたので「最後のア ダム」(1コリント15:45)と呼ばれており、このために福音は、す べての民族と国々に宣べ伝えられなければならないのです。ど のようなアダムの子孫でも、救われる可能性があります。なぜ なら、私たちすべてと血縁関係にある親戚(イエス・キリスト) が死んで復活されたからです(注11)。
しかしある人々は、「異なった『人種』が存在しているのは周 知の事実だ。なぜなら、様々な民族グループ間で肌の色や目の 形などの大きな違いが厳然と存在しているからだ」と考えます。
しかし実際は、これら民族グループ間のいわゆる「人種的特 徴」というものはほんの小さな差異でしかないのです。科学者 たちは、もし世界中から2人をピックアップしたとするなら、 この2人の間の基本的な遺伝子の差異は通常0.2%程度であ り、たとえその2人が同じ民族グループに所属しているとして も、遺伝子の差異はそれと同じであることを見いだしました (注1 2)。一方、多くの人が「人種」間の大きな違いだと考える 「人種的特徴」といわれるもの(肌の色や目の形など)は、実は この0.2%の差異の内の6%ほどしか占めていません。つまり 遺伝子的には、どんな「人種」と比べても0.012%ほどの差異 にしかならないということです(注13)。
つまり、いわゆる「人種的」差異は、ほんの些細 ささい なものでしか ないということです。ある白人の人が、臓器移植のために細胞 組織が適合するドナーを探した際に、見つかる最適なドナーは 黒人であるというケースもあるでしょう。アメリカのA B C N e ws のホームページの科学欄ではこう言っています。「事実 が指し示していることは、私たちには違いがあるが、それは文 化に由来するものであって人種に由来するものではない、とい うことである(注14)。」
これらの「人種的」違いを大きな違いだと人々が考える唯一 の理由は、育ってきた文化が「そういった違いは大きな違いだ」 と教えてきたからなのです。
聖書によると、現在この地球上にいるすべての人は、ノアと その妻、ノアの3人の息子とその妻たちの子孫であり、それ以 前にさかのぼるとアダムとエバの子孫です(創世記1~11章)。 聖書は、ノアの子孫たちが単一言語を使って共に住み、造り 主の「地に満ちよ」(創世記9:1、11:4)(注1 5)という命令に背 いていたことを私たちに教えてくれます。造り主は、彼らの 言語を混乱させ、人々が小グループに分かれて全地に散るよ うにされました(創世記11:8~9)。この小冊子では現代の遺 伝学を用いて、肌の色の違いなどが人々が分散してからたった 2~3世代で出てくることを説明したいと思います。そして、 現在の様々な民族グループは、膨大な時間をかけて分離してき たのではない .... という有力な証拠があることをお見せしたいと思 います(注16)。
現実に存在している人種は唯一で、それは「人類」です。聖書 は、人々を部族や国単位で区別していますが、肌の色や外見で 区別していません。確かに、ある共通の特徴を持った民族グル ープはあって(例えば、肌の「色」など)、その特徴によって他の グループと区別されることがあります。しかし前述した通り、私 たちはこれらを「民族グループ」と呼び、「人種」とは呼ばない ことにします。
すべての人々は、互いに自由に交わって子孫をつくることが できます。このことは、「人種」間の生物学的な違いは些細な ものであることを示しています。事実、すでに指摘したとおり DNAの差異はわずかなものです。
人類学者は一般的に、人々を少数の主要な人種グループに分 類しています。例えば、コーカソイド(ヨーロッパ人あるいは 「白人」(注1 7))、モンゴロイド(中国人やアメリカインディアン がこれに含まれます)、ネグロイド(「黒人」アフリカ人)、アウ ストラロイド(オーストラリア原住民)です。それぞれの分類 の下で、さらに多くの分類があるでしょう。
現在では、本質的に、様々な民族グループはそれぞれ別の起 源を持たないという意見で全ての進化論者は一致しています。 つまり、進化論者が信じているところによると、それぞれの民 族グループはそれぞれ異なった動物のグループから進化してき たのではないということです。彼らの意見は、すべての人は同 じ起源から派生してきたという点で、聖書的な創造論者と一致 します。もちろん進化論者は、オーストラリア原住民や中国人 といったグループは、何万年の期間を経て分離したと信じてい ます。ほとんどの人は、グループ間の大きな違いを見て、その 違いが現れてくるにはかなりの年月を必要としたに違いない .... と 考えています
この理由のひとつには、「外見的な違いがあるのは、ある民 族グループの遺伝構造には他のグループにはない独特の特徴が 存在しているからだ」と人々が信じていることが挙げられます。 なぜこう考えるのかはわかり ますが、間違った考え方です。 では肌の色を例にとって見て みましょう。それぞれのグル ープは黄色、赤色、黒色、白 色、茶色など、様々な肌の色 をしているので、様々な肌の 色素が存在するに違いない、 と考えるのは無理もないこと です。さらに、様々な色素の化 学物質が存在するとすれば、 各民族グループの遺伝情報の中には各々異なった遺伝的組み合 わせや遺伝コードが存在するということになります。こうなれ ば、短期間で現在の民族グループに分かれたと考えるのは難し くなります。ではいったい、これらの違いは短期間でどのよう に出てくるのでしょうか。
次に示すのがその理由です。私たち人間の肌には、すべて同 じ色素が含まれています。メラニンという色素です。このメラ ニンはこげ茶色っぽい色素で、私たちはすべて、肌の特別な細 胞の中にこの色素を持っています。もしこのメラニンを全く持 ... っていなかった ....... ら . (アルビノと呼ばれる人々がそのような人々 です。突然変異から起こった遺伝的な欠陥を持っており、メラ ニンを生成することができません)、真っ白かピンク色の肌に なります。そして少しのメラニンがあれば、ヨーロッパの白人 になり、肌にかなりの量のメラニンがあれば、黒人になります。 その中間であれば当然、様々な濃さの褐色となります。その他 に、実際に肌の色に影響する肌の色素は存在しません(注18)。
一般的に、どのような特徴であれ、ある民族グループが他の グループに全くない、本 質的に独自の特徴を持っ ているということはあり ません。例えば、アジア 系のアーモンド型の目は、 単にコーカサス系の人の まぶたに脂肪の層を加え ることでそのような形に なります(図1参照)。ア ジア系とコーカサス系の 目は共に脂肪がついてい ますが、コーカサス系の 方の脂肪は少ないというだけのことなのです。
メラニンはどういった働きをするのでしょうか。メラニンは、 太陽から来る紫外線がもたらすダメージから肌を守ります。か なりの日照りがある環境で、メラニンがほとんどない場合、簡 単に日焼けしたり皮膚ガンになってしまいます。もし皮膚にメ ラニンがたくさんあって、日光の少ない場所で住んでいたとすれば、 体が必要な量のビタミンD(体内で造られる際に日光を必要とし ます)を生成できません。そうなればビタミンD 欠乏症となり、 くる病のような骨の障害を引き起こす可能性があります。
もうひとつ知っておくべきことは、人は遺伝的に一定量のメ ラニンを持って生まれてくるのではなく、むしろ日光に対応し て、ある一定量のメラニンを作り出す「潜在能力」を持って生 まれてくるということです。例えば、あなたがコーカサス系の 社会にいたとします。友人たちが初夏にビーチに行くとすると、 その時点では彼らは( 冬の間に室内で過ごしていたとすれば) 他の人と同じように青白い肌の色をしているでしょう。しかし 夏が本格的になるにつれ、彼らの内から他の人よりもっと黒い 肌になる人が出てくるでしょう。
しかしながら、聖書が言うような短期間(2~3千年)で多様 な肌の色が存在するようになることは、どのように説明がつく のでしょうか。このことを説明するために助けとなる幾つかの 観測結果がありますので、見てみましょう。今から、「異なっ た色」といった言葉を使いますが、そこでは厳密に言うと1つ の色、すなわちメラニンの濃さが違うことを指しています。
もし、生粋の黒人が、生粋の白人と結婚すれば、その子供 (ムラートと呼ばれます)の肌の色は白と黒の中間の褐色(m i d - b r o wn)になります。そしてムラート同士が結婚すれば、その 子供は真っ黒から真っ白まで、事実上どんな「色」にもなるこ とがずっと以前から知られていました。このことを理解するこ とによって、先ほどの疑問全体を解くカギが与えられます。そ のために、まず遺伝の幾つかの基本的な事実を簡単に見てみま しょう。
設計図が完成後の建物を表現しているように、私たちは自分 を記述する情報をそれぞれ自分の体内に持っています。その情 報は、私たちがキャベツやワニではなくて人間であると決定す るだけでなく、青い目で鼻が低く、足が長いといった特徴も決 定します。卵子が受精する際に、その人の体格を規定するすべ .. ての .. 情報(運動とかダイエットといった後天的要因は除きます) がすでに含まれています。この情報は、私たちのD NAの中に コード化された形で存在しています(注1 9)。コード化の例とし て、ビーズが通っているひもを使ってモールス符号のメッセー ジにたとえて説明してみます(下図参照)。
短いビーズ、長いビーズ(モールス符号の短点、長点を象徴し ています)、そしてそれらの間の空白、この3つの組み合わせによ って、1本のひもが、紙にタイプされた英単語の「H E LP」と同 様の情報を伝える ことができること がおわかりでしょ うか。このように すれば聖書の全ペ ージも、十分な長 さのひもを使えば モールス符号で書 くことができます。
同様に、人間の設計図はコード(あるいは言語の決まりごと) で書かれており、そのコードはD NAと呼ばれる長いひも状の 化学物質に記憶されています。このD NAは、これまで知られ ている中で最も効率的な情報記憶システムで、未来に開発が予 想されるどのようなコンピュータ技術も超えることができない でしょう(注2 0)。この情報は、人々が繁殖 はんしょく する際に世代から世 代へと(様々に組み合わされて)複製されてきました。
「遺伝子」とは、そのような情報のほんの一部のことで、例 えば、1種類の酵素を作るための情報を記憶しています(注2 1)。 この遺伝子の概念を簡単に理解するため、機能を1つだけ持っ ている「メッセージ文字列」の1部分を使って説明します。
では、先ほどの細胞、受精したばかりの卵子の話に戻って、 そのすべての遺伝情報はどこから来るのか見てみましょう。半 分は(精子によって)父親から、もう半分は(卵子によって)母 親から来ます。
私たちは、肌の「色」が複 数の遺伝子によって決定さ れていることを知っていま すが、ここではわかりやす くするために、2つの遺伝 子A とB と、それに対応す る「不活発な」遺伝子a とb しかないと仮定しましょう (注2 2)。また小文字の遺伝子 は、肌に少量のメラニンし か作らない遺伝コードを指定するとしましょう。ですから、黒 人同士で結婚すれば黒人の子供しか産まれないことになり、遺 伝子の組み合わせはA A BB になります。白人同士の場合は a a bbとなります。ムラート( A A BBとa a bb間の子供)間では どのような組み合わせになるか見てみましょう(図2参照)。
パネット・スクエア(図3参照)では、褐色のムラート同士が 結婚したとすればどうなるでしょうか(四角の網掛かけは、結 果として産まれる子供 の肌のおおよその色を 示しています)。
驚いたことに、この特 殊なタイプの褐色の両 親からは、真っ黒から 真っ白まであらゆる種 類の肌の「色」がたった 1世代 ... で生じることが わかります。
A A BB の遺伝子を持 った、(その子孫には他 の種類の子孫ができな いという意味で)純粋な 黒人の子供は、肌の色を白くする遺伝子を全く持っていません。 もし彼らが結婚して、肌の白い人々と結婚することのできない 場所へ移住したとするなら、彼らの子孫は全員黒人になるでし ょう。純粋な「黒人」の系譜ができあがるわけです。
a a bbの遺伝子を持つ人は白人です。もし彼らが他の白人と 結婚して、自分たちより肌の黒い人々と結婚することのできな い場所へ移住したとするなら、純粋な(先ほどと同じ意味で) 「白人」の系譜ができあがります。彼らは、肌を黒くする、つま り大量のメラニンを作り出す遺伝子を失ったのです。
以上で、褐色の両親からこれほど簡単に、あらゆる「色」の 子供が産まれるだけでなく、一定した肌の色を持つグループが 生じることがわかりました。では現在あるような、褐色の民族 グループについてはどうでしょうか。このことも簡単に説明で きます。a a BBとA A bbの遺伝子を持つ両親が、他の遺伝子を 持つ人々と交わらなければ、褐色だけの子孫ができるようにな ります。(信じるこ とができなければ、 あなた自身でパネッ ト・スクエアを使っ て確かめてみてくだ さい。)
もしこれらの系統 と他の遺伝子を持つ グループが再び交わ れば、この過程はふ りだしに戻ります。 短い期間で、あらゆ る種類の「色」の子孫 が、それもしばしば 同じ家族の中で産まれるようになります。上の写真は、イギリ スの「最も驚くべき双子」と言われる双子です。一方の肌は明 らかに白く、他方は黒くなっています。
もちろん、今まで論じてきたことを紙の上で確かめてみれば、 このことは驚くことでも何でもありません。(ご自分で確認す る際のヒント: 母親はA A BBではあり得ません。また、この 双子は明らかに、同じ卵子から産まれてきた双生児ではあり 得ません(注23)。)
もし地球上の人間が互いに自由に結婚して、次に、無作為に グループをつくってその中でだけ結婚するようにすれば、全く 新しい組み合わせが出現するでしょう。黒い肌とアーモンド型 の目、青い目と黒い縮れ毛の組み合わせなども可能かもしれま せん。覚えておくべきことは、当然のことですが、遺伝子がど のようにその情報を発現させるかは、単純化した図よりもっと 複雑であるということです。つまり、時に、ある遺伝子は互い に結びついてしまうからです。とは言っても、基本的な考え方 に影響はありません。
今日でも、よく観察すれば同じ民族グループの中ででも、通 常は他のグループが持っている特徴を持つ人がいることがわか ります。例えば、低くて広い鼻を持つヨーロッパ人や、真っ白 な肌やコーカサス系の目を持つ中国人がいます。前述したよう に、現在ではほとんどの生物学者は、現代人にとって「人種」 という言葉は生物学的にほとんど、あるいは全く意味を持たな いという意見で一致しています。この事実は、民族グループは 長い期間をかけてそれぞれ別に進化してきたという考え方に真 っ向から反論するものです。
これで、以下の情報を使って「民族グループ」の真の歴史を 再構築することができます。
最初に造られた人、すべての人の祖先であるアダムは、遺 伝子のあらゆる組み合わせの中で最高の組み合わせをもって 造られました。例えば、肌の「色」などです。創造からかなり 後に、世界的な大洪水はノアという男と、その妻と3人の息子、 息子の妻たちを除いてすべての人を滅ぼしました。この大洪 水は環境を大きく変えました。大洪水の後、造り主なる神は 生き残った人々に「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と命じられ ました。数百年後、人間は造り主に背くことを選んで同じ地 に共に住み、反逆の礼拝の中心であるバベルの塔を含め、巨大 都市を建設するために団結していました。
創世記11章から、この時点まで言語は1つしかなかったこ とがわかります。造り主は、人々の不従順を異なった言語を強 制することによって裁き、そうすることによって造り主に逆ら って一致団結できないようにしました。そして造り主が意図さ れた通りに、彼らは地の全面に散ることになりました。そうし てすべての「民族グループ」(「黒人」アフリカ人、インド・ヨー ロッパ人、モンゴル人など)は、この時から存在するようにな りました。
ノアとその家族はおそらく、黒と白の両方の肌を作る可能性 のある遺伝子を持っている褐色人だったでしょう。なぜなら中 間的な肌の「色」が、一般的に最も環境に適応しやすいからで す(皮膚ガンから守るために十分に黒く、ビタミンD を作り出 すのに十分に白い)。アダムとエバには肌の「色」の要素がすべ て存在していたはずなので、彼らもほぼ間違いなく褐色人であ ったでしょう。事実、現代に至っても全世界人口のほとんどは 褐色人です。
大洪水の後、バベル以前の2~3世紀の間は、たった1つの 言語と文化しかありませんでした。そのため、このグループ内 で結婚することについて何の制限もありませんでした。このこ とは、人々の肌の「色」が両極端になることを妨げていました。 もちろんかなり黒い、または白い肌が現れることもありますが、 そういったどちらかの「色」の傾向がある人々は、自分より黒 くない、あるいは白くない人と結婚することも自由ですから、 人々の平均的な「色」がほぼ同じになっていました。
これと同じことが、肌の「色」だけでなく他の特徴にも当て はまります。こういった状況では、外見上のはっきりとした差 は現れることはありません。どんな生物学者でも知っているよ うに、このことは人間だけでなく動物にも当てはまります。そ ういったはっきりとした差が現れるには、大きな繁殖グループ が小グループに別れ、グループが分かれたままになる、つまり、 異なるグループ間での結婚が禁止される必要があります。
まさにこのことが、バベルで起こったことです。いったん 別々の言語が強制されると、ただちに人々の間に仕切りができ ました。人は自分の言葉を理解できない人と結婚しない傾向が あるのと同じように、言語グループ全体でも、自分の言葉を理 解しない他のグループと関係を持ったり信頼関係を持つことに 困難を覚えます。そういったグループは、互いに離れ去って 別々の環境に移住していくようになるでしょう。この状況は、 造り主が当初から意図されたことです。
各小グループが、元の大きいグループのように広範な肌の 「色」の遺伝子を保つ見込みはありません。ですから、あるグ ループは平均してより黒い肌の遺伝子を持ち、他のグループは より白い肌の遺伝子を持つことになるでしょう。鼻の形や目の 形といった他の特徴にも同じことが言えます。そして同じグル ープの中でしか結婚しなくなるため、以前のようにこの傾向が 平均化されてなくなることはありません。
これらのグループがバベルから遠ざかるにつれて、今までに 知らなかった新しい気候と遭遇することになりました。環境の 変化は、それぞれのグループが始まった際の遺伝子の組み合わ せほど重要ではありませんでしたが、グループ構成員の遺伝要 素のバランスに影響を与えることになりました。例として、日 光の少ない寒冷地に移り住んだ人々について考えてみましょ う。そういった地域では、グループの中で肌が黒い人々は十分 なビタミンD を作り出すことができず、その結果、健康状態が 悪くなって子孫の数も少なくなったでしょう。
ですから時が経つにつれ、肌の白い人々がその地域で優勢に なったと想像できます。もし幾つかの異なったグループがその ような地域に移って、あるグループは肌が白くなる遺伝子をほ とんど持っていなかったとすれば、このグループは結局は死に 絶えたでしょう。このような自然淘汰は、すでに存在する ....... 特徴 に基づいて働くもので、新しい特徴を生み出すものではありま せん。
興味深いことに、現在では完全な人間と認められている絶滅 した人類、ヨーロッパのネアンデルタール人(注2 4)の骨にビタ ミンD欠乏症の形跡が認められました。事実、このことが、進 化論的な偏見も手伝って、ネアンデルタール人が猿人だと分類 される原因となっていました。彼らが黒い肌をした民族グルー プで、元々備わっていた ........ 肌の色の遺伝子のために、移住してき た環境に不適だったことは容易に想像できます。この一般的に 言われている「自然淘汰」というものは、肌の「色」を生み出す .... ものではなく、創造され、すでに存在す ...... る . 「色」に基づいて働 くものなのです。
反対に、日差しが強い地域に住んでいた肌の白い人々は、肌 の黒い人々なら難なく生存できたその場所で、皮膚ガンに侵さ れていったでしょう。
ここで、環境の影響が(a)グループ内の遺伝子のバランスに 影響を与えることがあり、(b)グループ全体を根絶することさ えもあることがわかります。これでなぜ、大体において環境に 合う特徴を備えた人々がその地に生存しているのかがわかりま す。(例えば、北欧人が青白い肌をしていて、赤道付近の人々 が黒い肌をしている、など。)
しかしながら、このことがいつも当てはまるわけではありま せん。イヌイット(エスキモー)は、褐色の肌をしていますが、 日光があまりないところに住んでいます。おそらくイヌイットは、 より白い肌をつくり出すことができないA A bb などの遺伝子の 組み合わせを持っているのでしょう。一方、赤道直下に住んで いる南アメリカの原住民は黒い肌をしていません。
これらの例は、自然淘汰によって新しい情報が生み出される ことはないことを示しています。つまり、もし肌の「色」につ いてグループの遺伝子が望ましい組み合わせに変化することを 許さなかったら、自然淘汰はそのような変化を生み出すことは できません。
アフリカのピグミー族は熱帯地方に住んでいますが、彼らが 住む密林で強い日差しにさらされることはまれです。しかしな がら、彼らは黒い肌をしています。ピグミーは、人種の歴史に 影響を与えたもう1つの要因、「差別」を知る好例でしょう。 一般的な色とは違った子供が産まれた場合(例: 黒人のグルー プから肌の真っ白な子供が産まれる)、歴史的にその子供は異 常な者、受け入れられない者とみなされることが普通でした。 そのため、そのような人は結婚相手を見つけることが困難でし た。また人々は、自分たちの住む環境に適応しにくい一定の特 質も知っていましたから、こういった特質のあるなしが結婚相 手を決める際の1つの選定基準になっていました。このことが、 赤道付近の黒人グループから肌を白くする遺伝子を、高緯度の 地域の白人グループから肌を黒くする遺伝子をさらに排除す る方向に働きました。このように、民族グループ内では民族を 「純化」しようとする傾向があります。
また、以前であれば民族間の結婚が継続して行なわれてき たことによって問題にならなかったことが、小さいグループ の中で近親結婚が行なわれることによって、潜在的に存在する 異常な特徴を強めてしまうことがあります。アフリカでは、こ のような近親結婚の結果、著しく変形した足を持つに至った部 族があります。
ピグミーの話に戻ると、もし背が低くなる遺伝を持つ人々が 差別され、彼らが小グループを作って森の奥深くに逃げ場を探 し、そのグループの中だけで結婚したとすれば、ピグミー「人 種」がその時から存在することになったでしょう。ピグミー族 が未だかつて自分自身の言語を持ったことがなく、その代わり に近隣のピグミーでない人々の言語の方言を話している事実 は、この推測を支持する良い証拠となります。
すでにある特質を備えている民族グループは、移住する先の 環境について意識的に(あるいは半意識的に)選択をしたでし ょう。例えば、皮膚の下に厚い脂肪の層をつくる遺伝子を持っ ている人々は、不快に感じる熱い地域から離れる傾向があった でしょう。
聖書が記述する人間の起源は、単に生物学的、遺伝学的な証 拠のみによって証明されるわけではありません。それほど大昔 ではない、大洪水後のノアの家族から全人類が派生しているの なら、多くのグループの言い伝えや伝説の中で、たとえ時と共 にゆがめられて話は少し変わってしまっているとしても、その ような大災害の伝承がなければ驚くべきことです。事実、数多 くの文化の中で、全世界を滅ぼした洪水の話が残っているので す。そしてしばしば、そういった伝承には元々の聖書の記述と 共通した点があるのです(船に乗った8人だけが救われた、虹 の話、鳥を送り出した、など)。
要約すると、バベルで人々が散らされた後に、単一の大きな 異種交配グループから、小さな同系交配のみを行なう複数のグ ループに分かれたことによって、各グループは、様々な身体的 特徴を出現させる遺伝子の組み合わせを持つようになりまし た。そのため短期間で、一般的に「人種」と呼ばれる幾つかの グループ間で一定の差異が出てきました。さらに、環境による 淘汰が既存の遺伝子の組み合わせを変え、環境に適合するよう な特徴を助長したでしょう。
そこでは、どのような遺伝子にも単純なものから複雑なもの への進化は見られませんでした。遺伝子は、その時にはすでに すべて存在していたからです。様々な民族グループの主要な特 徴は、すでに創造されて存在していた遺伝子の異なる組み合わ せ、または(遺伝しうる)突然変異から起こった些細な退化方 向への変化の結果、形成されたものです。創造された当時の (遺伝)情報は、組み合わせが変わるか、退化するかで、そこ に何かが追加されるということはないのです。
ここまでで、いわゆる「人種」は実際には1つしかなく、そ の中に様々な民族グループが存在しているにすぎないことがわ かりました。では、いわゆる「人種間結婚」の問題については どうでしょうか。
もし、中国人がポリネシア人と、黒い肌をしたアフリカ人が 日本人と、インド人が白い肌をしたアメリカ人と結婚したとす れば、こういった結婚は聖書の原則に則 のっと っていると言えるので しょうか。
かなりの数のクリスチャンが(特にアメリカで)、そのよう な「人種間」結婚は聖書に書かれている造り主の原則を破るも ので、許されるべきではないと主張しています。
しかし造り主なる神のみことばは、本当に彼らの主張通りに 上記のような結婚を咎 とが めているのでしょうか。さらに、「人種 間結婚」というようなものが本当に存在するのでしょうか。
現在の真の科学は、「すべての人々はかなり近い親類である」 とする聖書の見解と一致して、生物学的にはたった1つの「人 種」しか存在しないと主張します。ですから、「人種間結婚」 というようなものは本質的に存在しないのです。とすると、私 たちには次のような質問が残されます。「聖書には、異なった 民族グループ間での結婚をはっきりと禁じている記述がある が、これはどういうことか。」
創世記11章では、バベルの塔での反抗によって、人々が全 地に散らされることになったことが書かれています。人々が全 地に散らされることによって、また、遺伝子貯蔵庫(g e n e p o ol )が分かれることによって異なる文化が生まれ、グループ の中で一定の外見上の特徴が支配的になりました。こういった 特徴の幾つか(肌の色や目の形など)は、それぞれの民族グル ープの一般的な特徴となりました(注27)。
創世記11章の文脈に注目してください。そこでは、造り主 が人々を全地に散らされたのは、彼らが造り主に逆らって団 結したからであるとはっきりと書かれています。あるクリス チャンたちは、いわゆる「人種間」結婚に反対する根拠として この出来事を引き合いに出します。彼らは、「神は国々を分割 しておくために、異なる民族グループ間では結婚してはいけ ないと宣言されている」と、この箇所が暗示していると信じ ています。しかしながら、この箇所でいわゆる「人種間結婚」 が非難されていると読み取ることはできません。それに、こ れまで長い年月でたくさんの民族グループが混ざり合ってき たので、現在各人がどのグループに由来するのか確認するた めに系図をまっすぐたどっていくことは不可能です。
私たちが理解する必要があるのは、主権者であられる造り主、 神がこの世界のすべての国々を掌握しておられるということ です。パウロは使徒行伝17:26でこのことを明らかにしてい ます。ある人々は誤って、この箇所は「国籍が違う人々は結婚 すべきでない」と言っていると主張します。しかしこの箇所は、 結婚と何の関係もないところです。ジョン・ギルが、最高級の 名作となった注釈書で明らかにしているように、その箇所の文 脈は、造り主がすべてのこと(どこで、どのように、どれくら いの期間、人や部族、国が生き(存続し)、栄え、滅んでいく か)を掌握しておられる、ということです(注28)。
こういった中で、造り主はご自身のためにキリストにあっ て1つになっている人々を贖 あがな おうと働きかけておられます。聖 書には、ガラテヤ3:28、コロサイ3:11、ローマ10:12~13で、 救いに関して、男子と女子、ユダヤ人とギリシャ人、奴隷と 自由人といった区別はないとはっきりと書かれています。キ リストにあっては、人々の間を隔てるどのような仕切りも壊 されます。クリスチャンとして私たちはキリストにあって1つ で、共通の目的、私たちを造られた主のために生きるという目 的を持っています。この、キリストにあってひとつという概念 は、結婚を理解するためにとても重要です。
マラキ2:15では、結婚の重要な目的は、敬虔な子孫、主の 道に訓練された子孫を残すことだと宣言されています。マタイ 19章のイエスとエペソ5章のパウロは、男が女と結婚すれば 一心同体となることを明らかにしています。(なぜなら、男と 女は元々は1つだったからです。エバはアダムから造られまし た。)また、男と女は、敬虔な子孫を残すために霊的にも1つに ならなければなりません。これが、パウロが2コリント6:14で 次のように言っている理由です。「不信者と、つり合わぬくび きをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんな つながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあ るでしょう。」
それでは聖書による と、右に示されている 3つの結婚のうちどれ に造り主は反対される でしょうか。
答えは明らかです。 3つ目の結婚です。聖書 によれば、結婚の大前 提は、クリスチャンは クリスチャンだけと結 婚するべきだというこ とです。
悲しいことに、あるクリスチャンホームの両親たちは、子供た ちがクリスチャンと結婚してくれるかどうかよりも、他の「人 種」の人と結婚しないかどうか心配しています。クリスチャン がクリスチャンでない人と結婚するとき、そこでは結婚におい て霊的に1つになることが否定され(肉体的な面は別です)、そ の夫婦にも、その子供たちにも悪い結果をもたらすことになり ます(注29)。
ラハブとルツの例は、本当の神を信じている者同士であるが、 異なった民族グループ間で結婚する問題について、造り主がど のように見られているかを理解する助けになります。
ラハブはカナン人でした。彼女は、ハムの息子であるカナン の子孫という不敬虔な文化の出身でした。カナンは、あからさ まな反抗的性質によって造り主に呪われました。しかし残念な ことに多くのクリスチャンは、ハムが呪われたと信じています。 しかしこれは事実ではありません(注3 0)。ある人たちは、実際 にはなかったこのハムへの呪いによって、黒い「人種」が誕生 する原因となったとさえ言っています。これはばかげた考えで、 黒い肌をした人々への偏見を助長し、正当化してきた偽りの教 えです。
このラハブはマタイ1章のイエスの系図に載っているラハブ と同一人物だと理解されています。ですからラハブは、イスラエ ル人(セムの子孫)と結婚したことになります。これは造り主 がはっきりと認められた結婚ですから、彼女がどの「民族グル ープ」に属していたかはどうでもよかったことになります。重 要なのは、彼女がイスラエルの真の神(造り主)を信じていた ことだったのです(注3 1)。
同じことが、モアブ人でありながらイスラエル人と結婚した ルツにも言えます。ルツも、マタイ1章のイエスにつながる系 図に載っています。結婚をする以前から、彼女は真の神(造り 主)に対する信仰を告白していました(ルツ1:16)。
ラハブとルツが造り主なる神の子供となったとき、異なる民 族グループの出身であるにもかかわらず、そこにはイスラエル 人が彼女たちと結婚する際に障害となるものは何もありません でした。
もし「人種間」という言葉を使いたいなら、造り主がしてはな らないと言われている本当の「人種間」結婚は、最後のアダムの 子供(キリストにあって新しく造られた者― クリスチャン)と 悔い改めていない最初 のアダムの子供(罪過と 罪との中で死んでいる 者― クリスチャンでな い人)との結婚のことだ と覚えておかなければ いけません(注3 2)。
あるクリスチャンの 指導者たちは、いわゆ る「人種間」結婚を許 せば、バベルの塔で分 割された国々をまた1つにすることにつながり、世界統一 国家を誕生させてしまうと主張します。これが本当なら、 クリスチャンは他の言語を学んではいけないことになります。 そうなると、すべての部族、国々に福音を宣べ伝えなさいとい う大宣教命令を無視することになります。誰と結婚できるかに 関する規則は、バベルの塔の出来事には含まれていません。
バベルの塔以来多くの民族グループに分かれて来たため、民 族グループ間には多くの文化的違いが生じてきました。全く異 なった文化を持つ2人が結婚すれば、たとえ2人がクリスチャ ンであっても、数多くのコミュニケーション上の問題が起こる でしょう。また他にも、例えば夫婦とその子ども以外の家族と の付き合い方も異なるでしょう。同じ英語を話す人同士であっ ても、出身国が異なれば同じ単語でも意味が違ってくるので、 コミュニケーション上の問題が生じるでしょう。カウンセラー であればこのことについて、起こりそうな問題や特定の事例な ど、詳細に論じることができるでしょう。このような文化的違 いによって破綻した結婚もあります。しかしながら、そのよう な問題は遺伝子や「人種」とは全く関係がありません。
クリスチャンが律法主義的に、聖書に根拠のない「人種間結 婚はしてはならない」というような考えを自らの文化に押しつ けるなら、そういったクリスチャンは進化論の影響から出てき た偏見を存続させる助けをしていることになります。もし私た ちが本当に正直であるなら、アメリカのような国々が「人種間 結婚」に反対する主な理由は、多くの場合、肌の「色」である と認めざるを得ないでしょう。(これまで説明してきたように すべての人類は同じ肌の色をしています。ただ、その色の濃さ が違うだけです。)
もしクリスチャンの指導者たちが、すべての人はひとりの 男と女から出てきたのであって、人はすべて造り主の御前で 等しいと教えるなら、キリスト教会はどれほど人種差別をめ ぐる緊張状態を緩和することができるでしょう。さらに、す べての人は罪人であって救われる必要があること、造り主な る神のみことばに基づいて思考を建て上げ、それにしたがっ て文化的事柄を判断する必要があること、すべての人はキリ ストにあって1つになり、造り主に対する反抗を止める必要が あることを教えればどれほどすばらしいでしょう。
ここまでで、肌の黒さ、例えばアフリカ人の黒色は遺伝要因 の1つの組み合わせに過ぎないことが明らかにされました。こ のことは、当時はその組み合わせではなかったにせよ、これら の遺伝要因はアダムとエバに元々存在していたことを意味しま す。黒人の肌の色はハムとその子孫への呪いの結果だとする考 え方は、聖書のどこにも書かれていません ............... 。さらに、呪われた のはハムではなく息子のカナンで(創世記9:18と25、10:6)、カ ナンの子孫はおそらく茶褐色だったでしょう(創世記10:15~ 19)。ハムに関する偽りの教えは、奴隷制や他の非聖書的な人 種差別的扱いを正当化してきました。伝統的に、アフリカ諸国 はほとんどハム族だと信じられてきました。というのは、クシ ュ人(クシュはハムの息子の1人。創世記10:6参照)は今日の
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アンサーズ・イン・ジェネシス(日本語の意味は「答えは創世 記に」)は、造り主である神に栄光と栄誉をお返しするため、 世界と人類の本当の起源・歴史を記した聖書の記述が正しいこ とを論証するために活動しています。
この人類の本当の歴史には、最初の人アダムが造り主の命令 に反抗したために死や苦しみ、造り主からの別離がこの世にも たらされたという悪い知らせも含まれます。その結果は、私た ちの周りの至るところで見ることができます。すべてのアダム の子孫は、みごもられたときから罪の性質を持って産まれ( 詩 篇51:5)、そして自らもアダムと同じ反抗(罪)の道を歩んでい ます。そのため、人類は聖なる造り主と共に生きることはでき ず、造り主から引き離されている存在です。聖書はこう言って います。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受 けることができず」(ローマ3:23)、そのためすべての人は、 「主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅び の刑罰を受ける」(2テサロニケ1:9)。
しかし良い知らせは、造り主がそのことについて備えをして くださったということです。「神は、実に、そのひとり子をお 与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、 ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためであ る」(ヨハネ3:16)。
造り主であられるイエス・キリストはまったく罪のない方で あったにもかかわらず、人類の罪に対する刑罰である死と造り 主からの別離を、人類に代わってその身に受けられました。イ エスはそうすることによって、御父なる神(造り主)の聖さと 正義が要求する条件を満たされたのです。イエスは欠けたとこ ろのない、完全ないけにえとして十字架上で死なれましたが、 3日目に復活され、死に打ち勝たれました。それは、主を心か ら信じ、自らの罪を悔い改め、自分自身の功績ではなく主によ り頼む者は誰でも造り主に立ち返り、彼と永遠に生きることが できるようにしてくださるためでした。
ですから、「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神 のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている」 のです(ヨハネ3:18)。聖書はこうも言っています。「もし、私 たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですか ら、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてください ます」(1ヨハネ1:9)。
何とすばらしい救い主でしょうか。キリストにある救いは何 とすばらしいのでしょう!
永遠のいのちを受け取ることについて聖書が何と言っている かさらに詳しく知りたい方は、この小冊子をあなたにさし上げ た人、アンサーズ・イン・ジェネシス、またはインターナショ ナル・チャペル・ミニストリーズまでご連絡ください。アン サーズ・イン・ジェネシスとインターナショナル・チャペル・ ミニストリーズ(I CM出版)については表紙裏面のページをご 覧ください。
注1 “Missing links with mankind in early dawn of history,”New York Tribune 新聞, 1924年2月10日, p. 11。
注2 Carl Wieland,“D a r w in’s b o dy s n a t c h e r s,”Creation 誌14 (2) :16~18, 1992年。
注3 Stephen Jay Gould, Ontogeny and Phylogeny, Belknap-Harvard Press, Cambridge, Mass., USA, pp. 127~128, 1977年。
注4 Jerry Bergman,“Ota Benga: The man who was put on display in the zoo!,”Creation 誌16 (1) :48~50,1993年。
注5 Robert Lee Hotz,“Race has no basis in biology, researchers say,” Cincinnati Enquirer 新聞に転載されたLos Angeles Times 新聞の記事, 1997 年2月20日, p. A3。
注6 “We’re all the same,”American Broadcasting Corporation News,
1998年9月10日,
注7 同上。
注8 Susan Chavez Cameron and Susan Macias Wycoff,“The destructive nature of the term race: growing beyond a false paradigm,”Journal of Counseling & D e v e l o p m e nt 誌, 76:277~285,1998年。
注9 英語のNIV(New International Version)聖書では、「race」(人種)と いう言葉が2箇所で使われています。しかし、エズラ9:2の箇所で使わ れているr a ce は、ヘブル語では文字どおりには「種」という意味です。ま たローマ9:3の「those of my race」(私の人種の人々)は、原書のギリシャ 語を文字どおり英語に訳すと「my relatives according to the flesh」(肉によ る私の親類)という意味です。英語のK JV(King James Version)聖書では、 「my kinsmen according to the flesh」(肉による私の親族)[日本語の新改訳 聖書では「肉による同国人」]と訳されています。
注10 Ken Ham, Where did Cain get his wife? Answers in Genesis, Florence, Kentucky, USA, 1997年。
注11 イエスが人となられた(造り主である人間となった)とき、アダ ムの子孫となり、イエスは私たちの親類となられました。神であられまし たが、ひとりの人間となって「最初のアダム」の子孫となられたのです。
注12 J.C. Gutin,“End of the rainbow,”Discover 誌, 1994年11月, pp. 72~73。
注13 Susan Chavez Cameron, 76 :277~285。
注14 “We are all the same,”ABC News, 1998年9月10日。
注15 英語のKJV(King James Version)聖書では、「replenish the Earth 」 (地を補充せよ)となっていますが、K JV訳が作成された当時、r e p l e n i sh (補充する)はf i ll(満たす)という意味でした。言葉の意味が時と共に変 化してきたのです。
注16 全世界のミトコンドリアD NA にみられる変異状況をもとに、 今日のすべての人が7万年から80万年前の(少数の人口の中で暮らして いた)ひとりの母親に由来することを証明するという説(「ミトコンドリ ア・エバ」説)が主張されました。ミトコンドリアD NA の突然変異の割 合に関する最近の発見によって、この期間は大幅に短くなり、聖書に書 かれている時間枠に収まるようになりました。詳しくは、次の文献を参 照してください。Lowe, L., and Scherer, S., 1997年。“Mitochondrial Eve: the plot thickens,”Trends in Ecology and Evolution 誌, 12 (1 1) : 4 2 2~4 2 3 ; Wieland, C., 1998年。“A shrinking date for Eve,” Creation Ex Nihilo Technical Journal 誌12 (1) :1~3。
注17 しかし、インド亜大陸に住んでいる人々は主にコーカサス人で、 肌の色は薄い褐色から黒に近い褐色までの幅があります。ヨーロッパの 中でも、真っ白から褐色までの幅があります。
注18 他の物質、蛋白質エラスチンの有色繊維や色素カロチンなども 肌の色の濃さに微妙に影響を与えます。しかし、一旦これら同じ物質を 遺伝すると、その遺伝をつかさどる原則はここで説明されているものと 同様になります。肌にある色素以外の要素、多層になっている(透明の) 表面薄層の厚さや、毛細血管の密度や位置なども外見上の肌の色の濃さ に微妙に影響を与えるかもしれません。実際には、メラニン細胞で造ら れる「メラニン」は、2種類の色素から構成され、髪の毛の色も決定して います。その内のユーメラニン(e u m e l a n in)は非常に濃い褐色で、他方の ファオメラニン(p h a e o m e l a n in)は赤っぽい色です。日光の刺激によって ユーメラニンの生産が促されると、日焼けします。皮膚を保護する日焼け があまりできない赤毛の人は、ファオメラニンの比率が高くなっています。 「おそらく彼らは、ユーメラニンの生産を促す信号に反応できない欠陥色 素細胞の遺伝子を受け継いだ」のでしょう。Cohen, P., 1995年。 “Redheads come out of the shade,” New Scientist 誌, 147(1997):18。
注19 このD NAのほとんどは各細胞の細胞核にありますが、D NAの 一部は細胞核の外にあって、細胞質の中にあるミトコンドリアの中に含 まれています。卵子が受精するとき、精子は細胞核のD NA にしか影響を 与えることができません。ですから、通常ミトコンドリアのDNAは母親、 すなわち卵子から受け継ぎます。
注20 G i t t , W . , 1997年。“Dazzling design in miniature.” Creation Ex N i h i lo 誌, 20 (1) :6。
注21 信じられないことに、時に同じD NAは違う風に「読まれ」、1つ 以上の機能を果たしています。このような構造を創造することができた 知性には驚かされます。
注22 この単純化は、ここでの立証をしやすくするためのものではあ りません。より多くの遺伝子があれば、より広範な範囲の「異なった」色 が存在することになります。これに関連する原則は、例として2つの遺伝 子を使って理解できます。
注23 つまり、一卵性のことです。
注24 いわゆる「猿人」についての詳しい検証と反論については、マー ビン・L・ルベナウ著、宇佐神実訳『人類の起源』(創造科学研究会、 1996年)を参照してください。
注25 ケン・ハム著、宇佐神正海訳『偽りの構図』(創造科学研究会、 1996年)。
注26 もちろん人種差別主義はダーウィンの進化論以前からありまし た。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」(エレミヤ17:9)とあ る通りです。しかし進化論的な考え方は、ある意味で、人種差別主義が 科学的に尊重されるに価するものだという評価を与えてしまいました。
注27 “Races very close,”C r e a t i on 誌17 (2) : 9,1995年。“M o d e r n ‘stone Age’r e c o n s i d e r e d ,”C r e a t i on誌15 (4) : 5 1,1993年。Carl Wieland, “Shades of Babel,”Creation誌13(1) :23,1990年。Dennis and Lyn Field(聖 書翻訳者)“, Julmbanu: Aboriginal Babel,”C r e a t i on 誌8(2) : 1 1,1990年。ノート Jerry Bergman,“Evolution and the origins of the biological race theory,”CEN Technical Journal 誌7(2) :155~168,1993年。
注28 John GillのAn Exposition of the Old and New Testament; The Whole Illustrated with Notes, Taken from the Most Ancient Jewish Writings(London: printed for Mathews and Leigh, 18 Strand, by W.Clowes, Northumberland - C o u r t ,1809年)中の、使徒17:26についての注を参照してください。同 書は、Larry Pierce によって編集、改定、更新され、“Online Bible”C D - ROM(1994~1995)に収録されています。
注29 例外的にですが、クリスチャンがクリスチャンでない人と結婚 して、その後そのクリスチャンでない配偶者が造り主の恵みによってク リスチャンになったケースがあることは否定できません。これは賛美す べきことですが、聖書がそのような結婚はそもそもするべきではなかっ たと示している事実を否定するものではありません。ただし、そうだか らといってその結婚が無効だとか、結婚における様々な責任から逃れる ことができると言っているわけでもありません。1コリント7:12~14を 参照してください。そこでは、結婚後に夫婦のどちらか一方だけがクリ スチャンになったときのことが書かれています。
注30 創世記9:18~27を参照してください。
注31 イスラエル人が、造り主なる神から周辺の国々の人々と結婚し てはならないと言われたことは事実ですが(レビ記18章)、これはそれら の人々が異教徒で、彼らとの結婚がこの選民に対する造り主のご計画を 台なしにするものだったからです。
注32 こういった「雑婚」の例と、それがもたらした悪い結果はネヘ ミヤ9章と10章、民数記25章に見られます。