“ 彼は盲目である……. 洞窟の魚のように”。コウモリのことはさておいて、巷ではある新しい出来事が話題になっており、それは進化と創造についての人々の考え方を変えつつある!
洞窟魚に会いに行ってみよう。洞窟魚は170 ほどの淡水魚の総称であり、通常は15cm 以下で、洞窟に棲んでいる。川が出入りしているような地域で、時に「盲目の洞窟性テトラ」と呼ばれている魚について、興味深い事実が研究者によって見出された。洞窟内に棲む魚は、洞窟外に棲むものとほとんど同じなので、あなたの水槽の中でも泳ぐことができる。ただし、洞窟に棲んでいる魚は体色が明るく、小ぶりであるか眼がないかである。
しかし、このことは、洞窟魚にとっては何ら問題ではない。むしろ、それは利点である。高度に発達した視覚系を維持するのに必要なエネルギーは、動物が必要とするエネルギーの実に15%にもなる。それは生物にとって非常に高い割合を占め、洞窟魚が棲む暗闇では、食物はほとんどないので、それを見つけるために限られたエネルギーを集中させる必要がある。そのため、見る代わりに、洞窟魚は驚くべき嗅覚の鋭さと水圧の変化に対する感受性に頼っているのである。
また、体色も失っている。洞窟外の魚は、カモフラージュやお互いを見分けるために、体色が必要である。しかし、繰り返しになるが、体色を生み出し維持するために必要な化学物質を産生するためには、相応のエネルギーが必要である。
進化論者たちは、これを“ 退行的進化(退化)” -もはや必要がなくなった特質(遺伝的形質)が長い時間をかけて痕跡化することで有益になること-であると声高に言い広めてきた。それに反して、近年の発見は、目を見張るような驚くべきものである。つまり、複雑で-またデザインされた-何かが起こっているようなのである。創造主は魚の内部に多様性を生み出すための能力を置いておられたようなので、それらは迅速に変化して、新しい変化し続ける環境で生き抜くことができ、そのことによって、神の栄光ある知恵とご計画の代表者として、地を満たしているのである。
それゆえに、退化の代わりに、洞窟魚は洗練された、多重性構造を有するデザイン….. そして、そのようなデザインには、マスター・デザイナー(a Master Designer =大いなる設計者)が必要である。その詳細は驚くべきものである。
数十年前、生物学者 Conrad Waddington は、次のような過激なアイデアを主張した。すなわち、生物はある種のメカニズムを持っていて、それは遺伝子内に多様性を保持することを許し、適切な条件が訪れるまでは、その多様性は表面化しないというものであった。適切な条件下では、まさに同じメカニズムが数世代以内で働いて、蓄えられていた多様性を持って子孫が生まれるようになると、Waddington は推測した2。
この型破りなアイデアは、激しい抵抗に会った。なぜなら、それは既存の進化論的な考え方と相容れないものだったからである。しかし、現代の研究者たちは、まさにこのようなメカニズムに関与するHSP90 というタンパク質3を、メキシコの盲目の洞窟魚で発見したのである。
その魚は、既に遺伝子内に眼の退縮に関する情報を持っているが、HSP90 は通常の状態では眼が退縮するのを妨げている。ところが、HSP90 は特定の環境条件下で機能停止し、そして、目は退縮する。それらの条件には、非常に微妙な要因、例えば、水を伝導する極めて微弱な電気が含まれる。というのは、洞窟では水に含まれる塩分が希薄なので、流れる電流も極めて微弱なのである。誕生前でさえ、胚は外界の状況を感知する検出器を持っており、HSP90 のおかげで、状況に応じて、身体を変化させる。何世代にも渡って、漸く子孫に変化が生じるというWaddington の当初の主張に代わって、2013 年の洞窟魚の研究4は、盲目が、なんと一世代で起こりうることが示されたのである!
盲目の洞窟魚は、また暗闇の中により適合している独特の行動を示す。例えば、洞窟には川が出入りしているので、洞窟魚は洞窟内に留まるために流れに対向して泳がなければならない。丁度、洞窟外の川にいる親戚たちが、非常な努力をして洞窟外に留まっているように。魚は本能的に食べ物を見出すこと、そして、現在の環境にいる方が捕食者に対して安全であることを知っている。どちらのタイプの魚も、元はといえば同じ種に由来しているのだが、多様なライフスタイルに適応するようにデザインされている。
洞窟魚は盲目になったからといって、困窮しているわけではない。思い出していただきたい、この魚の盲目は、情報破壊的な突然変異によるものではないことを。眼の遺伝子はどれも無傷なのである。しかし、環境が変わることで、遺伝的な命令のどちらが使われるかによって、眼が造りあげられるかどうかが変わる。洞窟に適応したデザインには、眼窩が浅く作られるというような細かい変化が含まれており、それはウロコによって覆われている。このような、気の利いたちょっとした調節、それによって、魚が洞窟の壁にぶつかっても、軟組織がダメージを受けないようになっている。
そして、さらにもっと不思議なことがある。もし盲目の洞窟魚が洞窟外の水の中に戻されたら、子孫は、1世代かそこらで、再び完全に機能する眼を持って生まれてくるのである。
これらの発見は、多くの進化学者を驚嘆させた。なぜなら、彼らはこのようなメカニズムを探そうともしていなかったからである。一方で、これらの発見は、創造論者にはそれほど驚くべきことでもなかったはずである。私たちは信じている。神は、究極の、全知全能のエンジニアであるので、ノアの洪水の後に、様々な環境変化が生じることを知っておられただろうということを。神は、生物が地に満ちることを望んでおられたので、それゆえ、目的を持って、このような柔軟な遺伝学的性質をデザインされたのである。たとえもし、魚が眼を失った方がより良いかもしれないことを意味するとしてもである。物事の細部についての神のご配慮は、全くもって、常に私たち人知をはるかに超えているのである!
そして、もし神がこの小さな盲目の洞窟の魚がより良く生き抜くために、十分な配慮を持って遺伝的なプログラムをされているのであれば、神の形に造られた私たち人間の命について、どれほど細やかなご配慮をしてくださっているかを想像してみよ。洞窟魚をデザインされた神の眼差しは、あなたにも注がれているのだ。
洞窟は、数千にも及ぶ動物が隠れ家としてウヨウヨいて、それらの動物の特殊化したデザインは、暗闇の中で生き延びることを可能にしている。学術的には真洞窟性生物(troglobionts、troglobites) として知られている動物たちは、その地上の従兄弟たちと似ているように見えるが、緩慢な代謝、減弱した視覚と色素、そして他の感覚の感受性の高さを持ち合わせている。