毎夜、同じことである。闇が全てを覆っている。ゆっくりと注意深く移動する。何かを抱きしめながら。そして、全てを何者かが覆い尽くす。何も見えないが、何者かに付けられているという疑念を振り払うことができない。それから、安全の間に横たわる一つのギャップに行き当たる。神経を研ぎ澄まし...ダッシュする!
しかし、裏をかかれてしまった。反対側へ逃げようとするが、その道半ばで、1本の絡み合った、それ自身の意志で動くことのできる腕が、インクのような闇から突如として開かれ、罠に陥れる。もがくが、格闘すればするほど、腕の力が強くなり、確実な破滅へと引きずり込まれていく。
これは悪夢だろうか?はたまた、ループもの (time-loop)1だろうか?否、それは毎日実際にタコの犠牲者に起こっていることである!
全く無駄がない。それは御し難い。それは、実際大きな謎である。そして、その謎は、その名前の複数形(octopuses)2から正確に類推されるより、その謎ははるか彼方のことである。未解決の最大の疑問は、吸盤や墨の噴射がどのようになされるかではなく、まさにこのずる賢い頭足類が本当に、どのぐらい頭が切れるのかである。
科学者たちは、動物の知能を定量するのに快感を覚える。それが迷路におけるラットであろうが、音節を繰り返すオームであろうがである。しかし、タコは分析するのが困難であることがわかっている。タコは社会性行動を行う動物ではないので、テストするための実験に意欲的に参加してくれない。しかし、賢いタコの物語には、事欠かない。科学者は何をなすべきだろうか?
困難にもかかわらず、研究者たちは脳の大きさと社会性(あるいは非社会性)行動に基づいて結論をくだした。タコは、無脊椎動物中では知性における王者である。
image of octopus: マダコ image of octopus suction: 足の吸盤何がタコをそこまで賢くしているのだろうか。一つ言えることは、タコの脳である。タコは同じ属(class)において、どんな他の動物よりも大きな脳を持つが、それはすべてが頭部にあるわけではない。タコの脳を構成しているニューロンの3 分の2は、8本の腕に存在する。このような構成によって、タコは腕とおびただしい数の吸盤を単に制御する以上のことができる。神は、タコの腕に脳の力(脳力)を加えることで、タコ以外の動物とは\別個に、タコが移動し反応できるようにされた。堕落以前は、タコも肉食ではなかったにもかかわらず、賢い腕は魚介類の食事を見つけ出し、捕食するのに理想的である。事実、もしタコが腕をなくしたら、ちぎれた腕は海底を動き回って、まだ餌を探そうとする。そして、何かを見つけたなら?そう、そのちぎれた腕は、餌に絡みつき、タコの口があると思われる方へ餌を運ぶだろう!
残りの3 分の1のニューロンは、中枢神経系(あなたの頭の中にあるものと同じ)および眼の後方に位置する視葉とに分かれる。このことは次のような疑問を投げかける。なぜ眼はこのような絶大な“ 脳力” を持っているのか?
腕はそれぞれほとんど独立なので、タコはそれで掴むだけでは、対象の全体像を決定できない。この失われた能力は、ほとんどの他の動物にも共通しているのだが、空間認知と呼ばれている。腕は対象の感触や味を決定できるが、全体像を理解するためには、眼で見極める必要がある。それゆえに、神はタコの眼に、例外的な“ 脳力” を与えたのである。しかし、この“ 脳力” は物語のほんの一部に過ぎないのだ。
脳の大きさは、知能を測る唯一の尺度ではない。伝書鳩やマウスはとても小さな脳しか持っていないが、難しい迷路を解くことができるし、訓練することは容易である。一方、タコは、一般にゲームを楽しんだり、自分自身の水槽にじっとしていることも望まない。
それゆえにタコが高度な知能を有するという最も明白な例の幾つかは、その日々の行動、すなわちその悪行に見ることができる。ニューイングランド水族館で以前飼育されていたトルーマンの例をとってみよう。トルーマンはあるボランティアの女性飼育員を嫌っていて、彼女がある範囲内にいるといつも彼女に向かって放水しているようだった。彼女が大学に行っていて水族館にいない時は、トルーマンは誰にも水をかけたりはしなかった。ところがその女性ボランティアが戻ってくると、彼女を一目見るなり、即座に放水したのである(https://orionmagazine.org/article/deep-intellect/)。
研究者は、機械的な装置がタコの周りでは長持ちしないことを知っている。2009 年に、あるヨツメダコの1種は、水槽のバルブを外してしまって、サンタモニカ水族館を一晩のうちに200 ガロン(760 リットル)の水で、水浸しにしたのである。
このような愉快な、人間的でさえある感情このような愉快な、人間的でさえある感情的で知的な表現力は、神が水底深くの骨のない生き物をいかに奥深く複雑な物として創造されたかを示している。ある人たちは、人間以外に他に同じ“ 脳力” を持つ動物はいないという証拠として、タコを引き合いに出す。しかし、知性や個性が私たちをユニークな存在にしているのではない。神は、人間だけに神との個人的な関係を持つ“ 脳力” を与えられたのである
6日間の創造において、神は、他のすべての動物とは違って、私たちをご自身の形に創造された。いかに頭の切れるタコや他の生き物がどうであろうと関係ない。私たちは、タコを創造された方を、驚嘆の思いを持って仰ぎ見るように、デザインされているのである。
ほとんどどんな穴にも潜り込むことができるので、眼よりも少し大きめの穴にでさえ入れるのだ。1本の骨もなしに彼らの体にはどんな形にもねじまがるので、何の縛りもないのである。
タコは、墨を吐くことで知られている。黒、茶色、赤と千差万別だが、インクは3つの方法で捕食者から身を守る。第一に、捕食者の視界を遮り、一時的に見えなくする。次に、インクは鼻と口を覆ってしまうので、まずい味になる。最後に、必要であれば、捕食者の気を散らして泳ぎ去り、隠れる時間を稼ぐことができるのである。
タコは肉食であり、自分自身よりも小さなものは何でも捕食する。海鳥やサメでさえも!
腕にある吸盤は、物をつかむ以上のことをする。吸盤には特殊な感覚、ちょうどあなたの舌の上にあるようなものがあり、掴んだすべてのものを味わうことができる。舌が口にではなく、手にあるのを想像してみよ!