1996年10月23日、ローマ教皇ヨハネ・パウロII世は、「新たな知識により、進化論を単なる仮説以上のものとして認識するにいたった」と公式に教皇庁科学アカデミーに対して述べました。教皇は、神様のみが人間の魂を造ることができることを支持するならば、創造と進化は矛盾なく、両立すると語ったのです。ニュースメディアは、この声明を、創造論に対する勝利だと宣言しているようです。この声明はカトリックやプロテスタントの神学に、どんな意味があるのか、多くの人が疑問に思っています。以下はこの問題に関する見解です。
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1997年2月4日追加:
教皇は本当に進化が仮説以上のものであると言ったのでしょうか?実は、一般メディアが教皇の声明を間違えて解釈した可能性があるのです。
もともとのフランス語の声明は以下の通り。
'Aujourd'hui, pres d'un demisiecle apres la parution de l'encyclique, de nouvelles connaisances condesuisent a reconnaitre dans la theorie de l'evolution plus qu'*une* hypothese.'
英語訳
'Today, almost half a century after the publication of the Encyclical [Humani generis, 1950], new knowledge has led to the recognition of more than *one* hypothesis in the theory of evolution.'
日本語訳
「回勅 [Humani generi, 1950] が公表されてほぼ半世紀がたった今日、新たな知識により、進化論を*一つ*より多い(つまり二つ以上の)仮説として認識するにいたった。」
問題はフランス語の「une」が英語の「a」または「one」のどちらの意味にもなり得るところにあります。一般のメディアが「more than 'a' hypothesis(単なる仮説以上)」と訳したのに対し、公式のローマ・カトリック新聞L'Osservatore Romano は「more than 'one' hypothesis(一つより多い仮説、すなわち二つ以上の仮説)」と訳したのです。
この情報は、ポーランドのローマ・カトリック創造論者で、著名な科学者であり、90以上の科学論文を発表されているMaciej Giertych 氏より寄せられました。これは、Giertych 氏が1996年12月に個人的に出版されたOpoka (The Rock、岩)で発表されたものです。もし、役に立つならばこちらで公表しても構わないとおっしゃって下さいました。
一般メディアによる歪曲を分析し、示して下さったGiertych 教授に感謝いたします。しかし、ローマ教皇はずっと以前から長い時間を受け入れていますし、ほとんどのローマ・カトリックの学校で、進化が教えられています。ですから、教皇には全般に進化を受け入れる向きがあるのです。ことにローマ・カトリック教会は、聖書を最終権威と見なしていません。
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最近の教皇の発表に関するAnswers In Genesisの声明
それほど驚くことではありません。教皇は「科学的に」現代的だと思われたいということを表わしていました。教皇は、古い地球を長いこと受け入れてきました。ほとんどのローマ・カトリックの学校や聖書の解説書では、すでに進化が教えられています。
教皇はまず、哲学者として教育されています。二次的に神学者ですが、科学者ではありません。ですから教皇はおそらく、助言者によって説得されたのでしょう。
ガリレオの事件があって以来、ローマ・カトリック教会は新しい科学概念に関する議論には慎重です。しかし彼らは間違ったことを学んでしまいました。ガリレオの時代に、ローマ・カトリック教会は、異教である天動説やアリストテレスの思想を取り入れていたのです。ガリレオの発見は、それらの思想に挑むものでしたが、聖書の正当性を問うものではなかったのです。ガリレオに反対する声は、主に大学のアリストテレス派の人々から上がりました。当時の教会は、天動説やアリストテレス派の学説に、聖書を一致させようとするという誤りを犯したのです。そして今度は、ダーウィン説に聖書を一致させようとして、過去と同じ間違いを犯しているのです。
ローマ・カトリック教会は、創造のプロセスから神様を除外しないならば、特に人間の魂の創造から神様を除外しないならば、進化を受け入れるとしました。しかし、進化の意図するところは、創造者によらずに生物を解釈することです。ステファン・ジェイ・グールドなど、ほとんどの科学史専門家は、それがダーウィンとハックスレーの意図したことでありであり、今日ではドーキンズとその仲間の働きの原動力であると認めています。
教皇の発表は、イエスや使徒の教え、そしてローマ・カトリックに非常に重要な意味を持つ教会の伝統にさえも矛盾するものです。この教えによれば、アダムが文字どおりエデンの園で、文字どおりに堕落したために、この世に死と苦しみがもたらされることになったのです。だからこそ、キリストが受肉し、われわれの罪のために死ななければならなかったのです。進化は、その死、すなわち「最後の敵」(コリント一15:26)が、実際に神の「非常によかった」創造(創世記1:31)の一部であると見なしているのです。
ローマ・カトリック教会は、テモテ第二3:15-17に反して、生きるための指針として聖書は十分ではないと明確に言っています。ですから、マリアの汚れのない妊娠と永久の純潔など、聖書に矛盾している多くの教義に悩まされることがありません。
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コラムニストのカル・トーマスは、ニュース記事の中で次のように述べています。 (以下は編集版):
「教皇ヨハネ・パウロII世は、勇敢にソビエト共産主義の圧政に反対したが、体力が弱まってくると、私たちは猿と親類であると主張する進化論科学者の圧政に屈服した。世の初めに、科学者がいただろうか?進化論的な科学は、ヨブ記で神様がお尋ねになった究極の質問に答えなければならない。『わたしが大地を据えたときお前はどこにいたのか。』進化論者に降参したからといって、教皇はほかの教義上の論点 -例えば、処女降誕、イエスの神性、イエスの肉体の復活、そして私たちの救い-を確かに弁護することはできない。なぜなら、神が世と、世にあるすべてのものを、無から創造されたと書いてある本に、このような他のことも証言されているからだ。」
「教皇は、進化に関する声明により、時代に追い付いた。そうしたために、教皇は共産主義の核となる哲学を受け入れてしまった。なぜ、人生をかけて反対した世界観の心髄を受け入れたいのだろうか?」
聖書の引用文は新改訳聖書より。日本聖書刊行会の承認済み。