セントヘレンズ山がまもなく噴火するということは、疑う余地がありませんでした。何ヶ月ものあいだ、科学者たちはその来るべき噴火を注意深く待ち望みました。計測機器は火山の活動を記録し、地質学者たちは火山と周辺地域にその影響がどのように及ぶかを調査するために集まってきていました。1980年5月18日、その日は明るく晴れた朝で始まり、これから起ころうとしていることをうかがわせるものは何もありませんでした。しかし、午前8時半(アメリカ太平洋標準時)を少し回った時のことです。火山の内部約1.6キロメートル下方で地震が発生し、数十年間閉じ込められていたエネルギーを解き放ったのです。その爆発は、すでに不安定な状態であった火山の北側を吹き飛ばして、カスケード山脈のその部分の様相を変貌させただけでなく、「岩のように揺るがない事実」だと確信されていた地質年代という考えの土台をも、激しく揺さぶり動かしたのです。
噴火前の数ヶ月のあいだ、セントヘレンズ山は、観察を続けていた地質学者たちに大災害の予兆を発し続けていました。上ってきたマグマは山の表層下にある空洞を満たし、その圧力で山の北斜面が隆起し始めていました。その膨らみは毎日1.5~15メートルの速さで膨張を続け、山の表面は非常に不安定な状態になっていました。現場にいた地質学者たちは、道路を封鎖し、そこに住んでいる住民たちが家に戻らないよう勧告した上で、火山活動の記録と分析を続けていました。
1980年5月18日の朝のことです。マグニチュード5.1を記録した地震は、山の北斜面を揺さぶりました。そして、「蓋」になっていた北斜面の地面が崩落すると、その下に閉じ込められていたマグマとガスが一気に噴き出して、火山の北斜面全体を吹き飛ばしたのです。地震は、セントヘレンズ山の地域一帯を大きく変えてしまうことになる一連の現象の始まりでした。
地震によって、緩んだ地面が持ち上がり、そこから砕石が落ちて地滑りを引き起こしました。氷や水、空気、砕石の入り混じった地滑りが山の斜面を滑り落ちていくと、その速度は優に時速240キロメートルを超えました。山頂から北斜面に向かって約400メートル分が崩壊し、その砕石は周囲590平方キロメートルもの面積にわたって飛び散りました。近くにあったトートル川(Toutle River)の北側の支流は埋め尽くされ、その堆積物の高さは平均45メートル、最大では180メートルもの高さになりました。
地面の崩落と同時に、925℃にも達する高温の溶岩が水を気化させて爆発を起こし、北側の斜面を吹き飛ばしました。この爆発による水蒸気の噴煙は、数秒のうちに、515平方キロメートルにわたる森林を破壊しました。それは、木々を引きちぎり、他の堆積物の中に投げ込み、更に、爆発から遠く離れていた木々の枝葉をもぎ取りました。この水蒸気爆発の噴煙は、その地域一帯に、時速1040キロメートルの勢いで襲いかかったのです。
5.1立方キロメートルの土石が降り積もったスピリット湖(Lake Spirit)には、巨大な波が発生し、波の高さは最大260メートルに達しました。湖の北側の斜面には波痕が残されており、それらがいかに大きな波であったかを物語っています。湖に降り積もった堆積物や土石のために、スピリット湖の面積は数分のうちに約2倍になり、深さも約75メートル増加しました。
万年雪を冠した火山が激しく爆発すると、その熱はそれらの雪や氷を解かし、大量の水を発生させます。それが岩石や木、堆積物を巻き込んで泥流となり、時速145キロメートルを超すスピードで地表を駆け抜け、河川に流れ込みました。
セントヘレンズ山の噴火は、数ヶ月のうちに地域一帯の景観を大きく変貌させただけでなく、地層、峡谷、石炭の形成には「何千万年」もの年月が必要だという考えにも大きな風穴を開けました。セントヘレンズ山の噴火によって、それらの形成には長い時間を要しないことが証明されたからです。
1980年の噴火以降、最高で122メートルもの地層が堆積しました。これらの地層は、火山の斜面を滑り落ちた堆積物と、付近一帯を覆った泥流や火砕流(火山灰、岩石の破片、高温のガスが混じったもの)が、層の上に層を次々と重ねていった結果、形成されました。
多くの地質学者は、地球上に見られる峡谷の多くは、河川もしくは他の自然の要因によって、長い年月をかけて少しずつ浸食された結果であると説明します。しかし、セントヘレンズ山は、この見解とは異なる事実を証言しています。1992年におきた小規模な噴火では、46メートルもの深さの峡谷が、たった1日で削りとられて形成されたからです。
セントヘレンズ山は、石炭の形成に関する手がかりも提供しました。石炭は有機物から形成されますが、スピリット湖の湖底で見つかった物質は、アメリカの各地にある石炭層の組成と材質に、よく似ていたのです。湖底に積もったこの物質は泥炭(でいたん)と呼ばれるもので、噴火後に周辺地帯から洗い流されてきた有機物(木々)の残骸と火山灰の混ざり合ったものが湖に堆積してできたのでした。進化論的立場に立つ地質学者の見解に反し、何千万年、何億年という長い時間は必要なく、泥炭の堆積と石炭の形成は、たった一度の大激変で十分だったのです。
1980年5月18日のセントヘレンズ山の噴火は、周囲の地形を全く変えてしまいました。噴火は、地層や石炭や峡谷が急激に形成される様子を明らかにし、何千万年の時間をかけて少しずつ形成されると従来教えられ続けてきた内容に反する事実を提供しました。
セントヘレンズ山の噴火によってもたらされたさまざまな地質現象は、地球全体を覆い尽くし、地表を一変させてしまったかつての大激変――すなわち創世記6章~9章に記録されている大洪水の出来事――を私たちに思い起こさせます。その時も、山々が急激に隆起し、短期間のうちに大峡谷が形成されていったことでしょう。セントヘレンズ山の噴火は、今から約四千五百年前に起きた地球規模の大洪水という現象がどのようなものであったかを、私たちに垣間見させてくれたのです。それは、「何億年」という地質年代が作り話であること、そして、聖書の記録が正確であり、聖書に記されているとおり、地球は創造されてからたかが数千年程度しか経過していないことを証言しているのです。